批評は壮大な自己正当化理論  

今読み返したい記事を再掲する。

東浩紀、佐々木敦、市川真人による「批評とは何か」論のまとめ 2018/05/10
http://usedkenchan.blog63.fc2.com/blog-entry-763.html

以下引用。

東「あれは失敗だったと思う経験があるとき、でも自分の人生だからそう思うわけにはいかないので、後付けで、あれが伏線だったかのように嘘をついていく。それが信仰ということで、自分もそれをやっているし、批評というのもそういう作業だし、すべての人間の人生がそういう構造をしているはずだ。僕たちは失敗をあたかも成功だったかのようにして回収するしかない。

市川「その回収が根本的に難しいわけで、多くの場合、自分の人生は間違ってなかったとどんどん内に籠って回収していくことになる。そうではなくて、論理的にありうるように世界を組み替えていくことが大事だ。」

佐々木「人は失敗もするし、運命から逃れられないけれど、そんな自分やこの世界が自分にとって正しいものであるという理論をどうやって自分の中に構築していくかが問題だ。詭弁で自分に納得させていくということではなく、他者にとっても正しいものにできれば、もう世界は組み変わっているといえる。批評の力は自分だけを救うものではなく、社会を変える可能性をもつ。」

以上引用。

つまり、「自分は間違っていなかった」と思うために組み立てる論理を批評と呼ぶらしい。あるいは「自分は端的に間違えていたが、そのことには重要な意味があった」などと考えるのも同じだ。少し具体例を考えてみる。

離婚した人や、いじめられた経験のある人、親に愛されなかった人、会社で無能の烙印を押された人、手ひどい失恋を経験した人など、厳しい現実があるときに、「よって自分は間違っている」という結論を出すわけにはいかない。「それでも自分はこれでよいのだ」という論理を無理やりにでも仕立て上げる必要がある。

普通の人は宗教や自己啓発にハマったりする。自分の思想をまるごと他者に預けることを選択する。メンターと自己同一化し、彼と同じような言葉を用い、彼と同じような論法を用いて自己正当化する。

しかし、それを「批評」とはいわない。言葉の射程が短すぎるからだ。自分がコミットしている共同体内でしか流通しない言語なので、自分の心を救うことはできるかもしれないが、世界に対しては何ら影響力をもたない。批評はもう少し野心的であり、世界を変えることを目指す。

東浩紀がゲンロンの経営で挫折した際、積極的にその経験を言語化しているが、まさに批評を地で行くような振る舞いだと思った。このようにしてひとつの失敗体験から教訓を言語化し、なんとかして一般論に昇華させようとする。今回の例でいえば、男性社員たちによる優劣ゲームに巻き込まれて社内がおかしくなってしまったと東は総括している。(それが本当に問題の中心を捉えているのかどうかは知らない。)

思い返せばゲンロン0も、東浩紀の過去作を編み込んでひとつの壮大な織物を作って見せたような本であり、長年の東ファンたちが泣いた。これは「俺がやってきたことにはこんな意味があるんだ」と大風呂敷を広げる東と、そんな東をずっと追いかけてきたファンにとって、まさに「批評」として機能した本だったと思う。

自己正当化は誰でもやっている。多少強引な論理であっても、何もないよりはマシだ。自分の精神を安定させ、落ち着いて仕事や勉強に打ち込むことができればいいので、論理の正確さなどは度外視する人が多い。批評家はそれでは自分をごまかすことができないので、自分が納得できる水準まで論理を鍛え上げなければいけない。その結果、単なる自己正当化ではなく、世界を語るひとつの視点にまで昇華される。

私はヒエラルキー組織に水が合わなかった。ヒエラルキー組織の原理的な欠陥が気になって仕方がなかった。本当は私のほうに主要な問題があったのかもしれない。しかし私は自分の人生を肯定するために、それを認めるわけにはいかない。間違っているのは私ではなく、ヒエラルキー組織のほうであることを証明しなければならない。だからホラクラシー組織の可能性をずっと考えている。正直にいえば、ホラクラシー組織もうまく行かないのではないかという懸念が大きい。しかし、私自身がヒエラルキー組織で心地よく働けるイメージが持てない以上は、ホラクラシー組織の可能性を追求せざるをえない。要するに私も、自己正当化のためにあれこれと言葉を紡いでいるにすぎない。

カテゴリ: 東浩紀論

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コメント

迂直の計。

>つまり、「自分は間違っていなかった」と思うために組み立てる論理を批評と呼ぶらしい。あるいは「自分は端的に間違えていたが、そのことには重要な意味があった」などと考えるのも同じだ。

東さんは、凡才ではないので、「迂回をもって直線に為し、禍をもって福となす」迂直の計を実践されました。
迂直の計の出典は孫子から・・

やっぱ、凡人ではないですね。


面白いのは成功体験とか個人的体験てのは、結構執着して過ちの原因になる・・

とはいえ、それを客観して、とらわれないのなら、素晴らしい智慧になると思います。


ヒエラルキー組織は、孫子のいうの「常山の蛇」にはなかなかならない。

頭を守るために、しっぽが出ても、ヒエラルキー組織では、しっぽのために、頭は守りにいかなくなる。
まあそれがヒエラルキー組織が破たんする大きな原因になったりすると思います。


駄文を書いて失礼しました。

遍照飛龍 #  | URL
2019/01/05 10:46 | edit

迂直の計というのですね。まさにその話だと思います。

とまべっちー #  | URL
2019/01/05 19:17 | edit

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