ティール組織は「発達段階」論を捨てるべき  

フレデリック・ラルーのティール組織の観察は非常に面白いし、実際にそういう会社をつくる動きは広がっていると思う。今後の方向性としても間違っていないと思う。ただ、理論的にはまだまだ弱いと思う。さらに思想・哲学を鍛える必要がある。

ラルーのまずいところは組織の「発達段階」論を採用しているところだ。参照しているのはケン・ウィルバーという人で、人間の発達段階を研究している人だが、はっきりとしたスピ系の人で、一般的に信用されている学説ではない。ニューエイジやヒューマンポテンシャル運動の影響を強く受けており、現在の自己啓発と同じ源流をもつ。そういう人物を参照している時点で、ティール組織の理論には疑問符がつく。

「発達段階」という考え方は気持ちの良いものだが、独善的な思想に陥りやすい。マルクス主義が典型的だ。マルクス主義では資本主義の次の段階として社会主義が必然的に実現すると考えた。マルクス主義の失敗の歴史に私たちは学ぶべきだ。人間の発達段階についてもメジャーな学問では慎重に扱っている。教育心理学ではエリクソンの理論を基礎とするが、かなりおおまかな枠組みにとどまっている。少なくともここまでは誰でも納得できますよね、という程度におさめている。発達段階論には科学的に不透明な部分が多く、ウィルバーの学説などは仮説でしかない。その上選民思想などに結びつきやすいので取り扱いには注意を要する。その意味でラルーは素朴すぎる。

すべての組織がティール組織になれるとは思えない。ティール組織的な会社には必ずカリスマ的な経営者がいる。経営者が交代すると従来型のヒエラルキー組織に戻ってしまうこともある。組織に「発達段階」があるのだとすると、そう簡単に退行してしまうものなのだろうか?実態は、経営者の思想の強度によって、ティール組織の文化を安定化させているのだ。放っておけばエントロピーが増大するように権力組織に戻ってしまう。たゆまぬ精神エネルギーの投入がなければ質的に高度な組織文化を維持することはできない。

時代や環境に適合した組織の形がある。大組織で役割分業があり、それぞれに別種の専門性を必要とするような会社においては、マネジメントの役割が大きくなるだろう。ビュートゾルフのような、個々人が専門的な職人であり、かなりの程度自己完結するような職種においては、自主性を最大限尊重するスタイルが効果的だろう。
また、大不況や災害時などのような異常事態においては、特定の人物に権限を集中させる必要もあるだろう。

ティール組織に似合う人材とは、その気になればフリーでもやっていけるタイプの人だと思う。それでもあえて組織に属するとすれば、ティール組織のような自由なところしかありえないだろう。しかし個人の力量に自信がない人は、権限も責任も他人に預けてしまいたい。自分よりも強く優秀な人を立てる代わりに、おこぼれをいただきたいと考える。これもこれで合理的な戦略であり、間違っているとは決して言えない。そういう人たちのための組織も引き続き必要とされる。

ティール組織に発達段階論が入っていると、「人間は自立を目指すべきだ」という思想が当然含意される。それはきっと一般の人たちにとっては強すぎる思想だと思う。ふつうの人たちはもっと保守的であり、自由はほどほどでよいからまず安心できる居場所がほしいと切に願っている。

ティール組織も数ある経営思想のうちの一つとして定着するだろう。上でも下でもない。ただ単に、そういう組織で働くことに必然性がある人たちが一定数存在するということである。

カテゴリ: 会社について考える

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