「反脆さ」という概念とか「小暴君」という概念とか  

この本を手に取ってみた。

反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方 ナシーム・ニコラス・タレブ

「反脆(はんもろ)さ」という概念を提唱している。その概念は面白いような気もするが、文章は冗長なエッセイのようであり、内容は自己啓発本のようだった。反脆さとは、変化を好む性向のことで、刺激によって成長するタイプの人を指す。外的条件の変化によって容易に翻弄されてしまう人を「脆弱」と呼び、何が起こっても変化しない人を「頑健」と呼ぶ。本書は言うまでもなく「反脆さ」を称揚する内容になっている。

たとえば大企業のサラリーマンは変化が乏しく、環境の変化に対して脆弱になりやすい。また、大阪万博を誘致した人たちはいまだに高度成長期の夢を見ているわけで、「頑健」と呼ぶのにふさわしい。

しかし、変化を好む人をやたらに持ち上げるのはどうかと思う。「多動力」などという言葉もあるが、自己啓発の文脈ではたいてい「とにかく動けばいい」というような精神論が語られがちだ。しかし私に言わせれば、反省を伴わない行動に意味はないので、やたらに動きたがる人にはむしろ「とまれ」と言いたい。

ところで、この本の中で「心的外傷後成長」という言葉を見つけた。「心的外傷後ストレス障害」ではない。ストレスが人を成長させるというポジティブな言葉だ。これには共感を覚えた。心的外傷がストレス障害をもたらすのは脆弱な人であり、反脆い人であれば成長をもたらす(らしい)。ここで私はカルロス・カスタネダの「小暴君」の概念を思い出す。身近な存在として立ち塞がる脅威、小暴君。それは父親かもしれないし、上司かもしれない。小暴君と戦い、これを打ち負かしたときに、シャーマンは一人前になるのだという。私が思うに、これはシャーマンに限った話ではない。戦うべき相手に正面から向き合い、これを超克することができれば、人は成熟することができる。私自身の経験から言ってもそうだと思う。今年ほど悪と向き合い戦った年はなかったと思う。この経験を経て、ずいぶん大人になったような気がする。

現代社会はなまじ高度に洗練されているので、人間は未熟なまま歳を重ねてしまうことが多々ある。分かりやすい悪が自分の身に降りかかることは稀だ。それは不運かもしれないが、その悪を振り払うことができれば大きな糧になる。現実に悪と対峙したときにしか分からないことがある。自分という人間の本性が分かる。「小暴君」に存在価値がもしあるとすれば、それに向かい合う人の内面に何らかの作用を及ぼすからであろう。負の作用しかもたらさないのであれば心的外傷後ストレス障害となり、反転して正の作用をもたらすならば心的外傷後成長となる。悪と出会ってしまった人は、何とかして後者の可能性を見出さなければならない。それは漫然と飼いならされた人間でいつづけるよりは、ひょっとしたら幸運なことかもしれないのだ。

カテゴリ: 思想

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コメント

無題。

これ面白いと思うので参考に

超訳【中国武術論】 餓鬼の門
http://bunchin.com/choyaku/ushu/ushu001.html

>よく言いますよね? 「人にとって「食事」は何よりも重要だ」って。

>「拳」の訓練は「食事」なのです。 決して「ファッション」ではありません。

>台湾でも日本でもアメリカでも、小学校ではどこでも昼時になると給食がでます。

>これは、成長に必要なための「栄養」を補給するためのとても重要な事柄です。
(味はまぁ、オフクロの味に遠く及びませんが・・・)

>「拳」の訓練も、これとまったく同じことです。

>「内面の力」の訓練をともなわずに必死に飛んだり跳ねたりしたところで心が強くならないのは勿論のことですが、身体だって強くなりはしません。

>ああ、見てください!

>餓死寸前のネズミが死に物狂いでクルクルと駆け回っています・・・なんと恐ろしい!


>ちゃんとした「食事」の方法を知っている人であれば、あれこれと手当たり次第に詰め込む必要など、まるでないのだということがわかります。


一応よければ出典先をお読みください。

自分の言葉でまとめないですが、なんか大事なことに思えました。


失礼しました。

遍照飛龍 #  | URL
2018/12/02 20:40 | edit

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