明治時代の選挙権  

帝国議会の選挙権は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子のみに与えられた。有権者は総人口の1.1%にすぎなかった。

ポピュリズムの吹き荒れる現代から見ると、制限選挙というのもひとつの知恵だったように思われる。日本では逆に選挙年齢を引き下げたが、若者たちは就職に有利そうなアベノミクスを支持した。利害関係者は公共の振る舞いが可能なのかという問題があると思う。経済的にじゅうぶんなゆとりのある労働世代のほうが、もう少し大局的にものを考えることができると思う。

アリストテレスは中間層が政治の主役になるべきだと説いた。支配と服従の両方を経験した人だけが政治の主体になる資格をもつと考えた。ポリスにおいて成人男性は家族や奴隷を支配しており、いっぽうで市民としては公共の義務にしたがっていた。
また、アリストテレスは政治主体は自立していることが前提だとした。アテネの市民は名誉のために自主的に動くことが期待されていた。内発的動機で行動できる人間が賞賛された。これは現代でもまったく同じだろう。

サラリーマンから政治家に転身する人は少ない。隷属的な身分からは政治家は生まれにくいのかもしれない。政治家になるのは弁護士、学者、経営者、芸能人など、個人の力で生きている人が多いように思う。

トランプは実業家としては大成功した人だ。差別的発言はあるが、それよりも彼のアメリカ人的な気質、すなわちDIY精神が高く評価されたのだろう。いまならトランプを支持したアメリカ人たちの気持ちも少しは分かる。

アリストテレスの六政体論のうち、代議制民主主義はどこに分類されるのか。これは実質的に寡頭制だと宇野重規は言っている。なるほどたしかにそうだと思った。直接民主主義ではないので、有権者の権力は実際には極めて制限されている。政治家が有能であればポピュリズムの弊害をうまく調整してくれるはずだ。間接民主主義はリスク・ヘッジのシステムだといえる。これを「民主主義」と呼ぶのは欺瞞のような気もするが。

國分功一郎は現代日本の民主主義について、行政が勝手な裁量で決めてしまう部分があまりに大きいと批判している。これもこの国が実質的に寡頭制で動いていることの証左である。民主主義とはいいながら、うまいことエリートが手綱を握っているわけだ。そうなると、今般の政治の行き詰まりはエリートの劣化にこそ大きな原因があるといえるかもしれない。

カテゴリ: 社会

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