ポストモダニストの欲望  

ポストモダニズムとは要するにマイノリティ擁護のイデオロギーなのだろう。千葉雅也はゲイを擁護するために、東浩紀はオタクや批評を擁護するためにポストモダン思想を利用しているようにも見える。

マイノリティを擁護するためには、マジョリティが依拠しているものをひっくり返せばいい。だからポストモダニストは相対主義を武器にする。我々が科学的真理だと思っているものも実は文化によって影響を受けているのだと叫び、我々の欲望はメディアによって捏造されているのだと煽り、とにかくマジョリティを不安に陥れるような論法を好む。その背景には人間の心は本来まったくの白紙であるという信仰=ブランク・スレートの教義がある。
ブランク・スレートは脳科学や生物学の知見により退けられる。人間は生得的にある程度決められた脳機能を持つ。脳のしわの形はある程度遺伝子によって決まっていることが分かっている。したがって原理主義的な相対主義は成立しない。人間には本性というべきものがある。人間には生物学的に共通する直感能力があり、それを理屈で相対化するのは無理がある。

直感、本筋、常識といったものには生理学的な根拠があるのだから、簡単にひっくり返すことはできない。近年の科学の知見が示すのは、ポストモダンは厳しいということであり、保守主義には再考の価値があるということだ。

苫米地、安冨、清水に共通しているのはマジョリティ批判とマイノリティ擁護の姿勢である。これはそのままポストモダンの姿勢でもある。このようにポストモダンと自己啓発は相性がいい。しかし、そういう言説に惹かれる人は根本的に考えてみてほしい。どうして自分は世間の多数派の価値観を受け入れられないのだろうか。社会が本筋としている議論を否定し、あえてマニアックな傍流の議論を採用するというのはただごとではない。どうしてそんなことになってしまったのか。ひょっとすると、過去に社会から評価されなかった苦い経験があり、それに正面から向き合う代わりに異端の思想に飛びついてしまったというだけのことなのではないか。だとすれば自分がすべきことは異端の思想を必死に擁護することなどではなく、本筋の議論に耐えられるような自我を育てることではないだろうか。

カテゴリ: 思想

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コメント

マイノリティの自覚、俺は他人と違ったものの見方ができる、一般人(マジョリティ)とは違う特別な人間なのだ。
的なマイノリティであることを自分で誇るナルシシズムも関係するのではないでしょうか。

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2018/11/13 08:28 | edit

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