高橋源一郎の本気の文学の話  

高橋源一郎の講演を聴いた。冒頭に「今日は本気で文学の話をします」と宣言している。



何の話をするのかと思ったら、夏目漱石の「こころ」を自分なりに裏読みしてみたという話だった。この小説の序盤で「私」は「先生」に会ったことがある気がすると言うが、その伏線は結局回収されずに終わる。漱石の小説は連載なので辻褄の合わない箇所も出てくる。ではどんな伏線にするつもりだったのだろうか。「私」は若いころの「先生」だという研究があり、高橋もそれではないかと言う。また「先生」の親友Kとは誰のことか。一説では幸田露伴ともいわれるが、高橋は石川啄木ではないかと言う。「こころ」は大逆事件から3年後。迂闊なことを書けば捕まって殺される世相だった。漱石は言いたいことを分かりにくい謎かけにして小説に忍び込ませたに違いないと高橋は力説する。

さて、これのどこが「本気の文学の話」なのだろうか。これはただの、「文学好きによる文学好きのためのお遊び」にすぎないと思う。文学がこのようなものでしかないのなら、その価値を認める人はますます少なくなるだろう。

たしかに高橋の推論は一理あると思う。時代背景とマッチしていて説得力があるし、そのように深読みすると漱石という人間が浮かび上がってくるような気もする。そして「読む」という行為はそれくらい自由な可能性をもつのだということを示す実演としても成功していると思う。
しかし、「だから何?」という根本的な疑問が拭えない。漱石は実は大逆事件に心を痛めていた。そして何らかの形で表現しなければ気が済まなかった。だから何?その推論から引き出される果実があまりに小さいような気がする。

もっと言えば、高橋の話は「ちょっと意外な文学裏話」であり、一種のほら話、別の言い方をすれば陰謀論にも近いものだ。ショーとしては面白いかもしれないが、それだけではないのか。

これは文芸の人たちの典型的な行動パターンでもある。安冨歩は論語や「星の王子様」を独自解釈しているが、これも高橋の芸とよく似ている。このような人文系インテリの仕事を指してカワンゴは、自分の信念に引き付けるように古典を解釈しているだけだと手厳しく評している。

高橋の近著「今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史戦後文学篇」も読んでみたが、これも面白くない。もともと文学好きの人しか楽しめない本だと思う。

これでは文学は受けないと思う。「こころ」は全国の中学生が感想文を書かされているが、面白いと言う子はほとんど見たことがない。漫画やライトノベルやファンタジーもののほうがずっと面白いと言っている。普通の中学生たちは心の深部などに興味はないし、そこまでじっくり考える余裕もない。小学生までは本の虫だったような子も、中学生になりスマホを渡されるとめっきり本を読まなくなる。それは堕落というわけでもなく、必然といったほうがいいと思う。
人の心について悩んでいる生徒に私が勧めるのは、文学ではなく心理学入門の新書だ。岡田尊司などは分かりやすいので高校生くらいでもじゅうぶん読める。

いまや文学でなければならない理由がなくなってしまった。小説家のひとたちはこなれた文章を書き、キラリと光る人間観察を散りばめることができる。それは上手いとは思うが、人間観察は文学者だけの特権ではないし、洗練された美しい文章を読みたいという欲望もニッチなものだろう。文学がなくても人は豊かに生きていける。

もはや文学者は特殊な伝統芸能の担い手であり、歌舞伎役者や落語家に等しい。その意味で存在価値は残る。コアなファンが支える小さなコミュニティーとして存続していくことになるのだろう。

カテゴリ: 思想

tb: --   コメント: 12

コメント

村上春樹を読んでほしい。

#  | URL
2018/11/10 23:25 | edit

村上春樹は好きです!記事も書いてます。

1Q84読み始めノート 2018/05/09
http://usedkenchan.blog63.fc2.com/blog-entry-762.html

私が面白く読める数少ない小説家の一人ですね。

tomabetchy #  | URL
2018/11/10 23:31 | edit

村上春樹、ひいては小説を速読しても絶対に味わえない感覚があると思います。私は速読は眉唾の眉唾です。
三島由紀夫の小説もしかりです。

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2018/11/10 23:38 | edit

速読なんか論外でしょう。人の話を真面目に聞くつもりがあったら速読なんかできないはずです。

tomabetchy #  | URL
2018/11/11 00:04 | edit

夜分にしつこくてすいませんm(_ _)m
人の話を真面目に聞く云々まさに同感で、速読は本を書いた著者を冒涜していると思います。私は一月三冊です。

#  | URL
2018/11/11 00:12 | edit

そもそも文学作品の速読は苫米地氏も推奨していないので補足説明が必要です。速読が必要とされる部分について

速読そのものは、元々ある普遍的な話で、

コーチング、苫米地氏、動画配信への批判とは全く異なるジャンル
です。

勘違いが前提として議論されているようなので、補足説明を。
問題となっている動画配信の題材の元ネタは

「ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方 (PHP文庫) | 苫米地 英人」
「英語は訳さず学べ」同著者

です。内容は背景知識がある本は早く読めますよ、と言っているだけで、
苫米地氏も三島由紀夫等はゆっくりと味わうべきで、速読すべきとは言って
いません。

※背景知識の例

背景知識とは例えば、会計士であれば、(一般向け程度の)会計や税務の本
が速読出来るのは当たり前です。繰延税金資産や資産除去債務のことを
聞いたこともない人が、少しでも高度な会計の本を読んでも理解出来ないのは
当然です。逆に知っていれば、一般向けの会計の本などさっさと読めてしまい
ます。

法律でいけば、会社法の背景知識がない人が、「ガバナンス」がどうのこうのと
いった本を読んでも何も分からないはずですが、知っていれば早く読めます。

こうした主張をしているに過ぎないのです。

当然、慣れている分野、ビジネス文書や本はある程度速読で十分です。
それらのジャンルについては何の害も生じません。


◆速読はそもそも必要とするノウハウ。昔から言われています

で、後者の方は、元々米国の大学院に留学するのに必須の学力とノウハウで、
苫米地氏も古典を読むことを薦めています。(苫米地氏が登場する以前に、日本の
留学生達が四苦八苦しながら勉強しているので、前提に過ぎません。一流大学の
特に大学院生以上の留学経験者にに聞いたら分かる話です。)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1248105117

ですが、恐らく殆どの読者はそのレベルには到達していません。それレベルの知的
訓練を必要とする環境にはいません。元々レベルの違う、知識を深く理解するつもり
がない人が、速読に対する誤解を広めた、というだけのことです。

逆に、理解出来ていたら、あのような配信にはなりませんので。

速読そのもの全てを否定していたら、試験問題をさっさと解ける人達のことは全て
否定しなければならなくなります。留学で言えばTOEFLやGRE、GMATは全滅するしか
ありません。トップクラスの大学、大学院において行われる、
ソクラテスメゾッドで行われる高度な授業において、議論の相手にすらなりません。

早く読める人、早く問題が解ける人、理解出来る人、普段からの学問的蓄積の中
で養われるものです。

だから、速読は当たり前の話でしかありません。自分が読める速度が、自分の理解力、
学力でしかありませんが、焦ることもなく、コツコツと勉強するだけの話です。

◆では速読そのものまで誤解された原因と問題点は何か?


では問題点は何か?纏めると、以下の4点になるのではと思います。

1資本主義社会の勝利者になるためのツールとされてしまう場合

2知識を増やし偏見や盲点を無くしていくための読書ではなく、
自分の偏見と思想の強化と他人への押し付けに利用される場合

3精神疾患を悪化させる可能性がある場合
→人によっては本を読むと病状が悪化する場合があり得るかもしれない
まして、速読、という精神的プレッシャーの問題がなかったか?

4何故かコーチングとつながっていった

これらが、今回の騒動を通じて一気に噴出した結果、また苫米地氏という
個性的なパーソナリティの著作物であったため、偏見もあいまってこのような
残念な結果になったのだと思います。

コーチングの問題は別問題です。動画配信の問題も。

今回のあらゆる事件の問題はさておき、「英語は訳さず学べ」の方に記載
されたノウハウと、読書リストは支持されるべきものです。
むしろ、遅すぎる感があったぐらい。

◆繰り返しになりますが

苫米地氏ははっきりと、三島のような文学作品は味わうべきと言っていますので。
こちらの速読が著者に失礼だとかのの議論は全く的外れな、異なる議論です。

◆結論:元々学力もIQも違うのだから議論にもならない:例の騒動は別件

だからこそ、少しずつ学力を高めて自分のものにしていけばいい。
理解力ゼロの人が押し付けたのであのような事態が発生した。

素直に自分の足りない点を認めて自分なりに本を読めばいい。
いつか速度があがるかもしれないし、上がらなくても焦るなで
いいのでしょう。押し付けこそが、全てのトラブルの原因なの
ですから。

◆推奨されていた本:古典を中心に:これは重要

以下、苫米地英人氏が「英語は訳さず学べ」の方で読むべきとして
推薦していた本です。学力が高くないと絶対に原書では読めない本です。
私は念のため、三省堂本店の哲学書のコーナーにも行って探してみました。
大学系の出版社でも翻訳が出ていない本があると思われます。
速読であろうと、熟読であろうと、以下の本が読めることが前提なの
だから、元々話が違うだろう、ということは理解出来ると思います。

(Bertrand Russelは英文解釈の授業で読んだことがありますが、
丸ごと一冊ではないので、読めたら凄いな、とは思います。)

(ちなみに、David Humeは生誕300周年で米英の一流紙とかでは
特集も組まれていました。知識人の文章や台詞には頻繁に引用もされます。
残念ながらこれが日本のレベルとか現状です。何故苫米地氏が
コーチングの話ばかりするのが、逆に謎です。)


A Treatise Concerning the Principles of Human Knowledge
(George Berkeley)

On the Origin of Species (Charles Robert Darwin)

Relativity (Albert Einstein)

The Modularity of Mind (Jerry A. Fodor)

Leviathan
(Thomas Hobbes)

An Enquiry concerning Human Understanding
(David Hume)

A Treatise of Human Nature
(David Hume)

Phenomenology and the Foundation of the Sciences (Edmund Husserl)

Patterns in the Mind: Language and Human Nature (Ray Jackendoff)

Critique of Practical Reason
(Immanuel Kant)

Critique of Pure Reason
(Immanuel Kant)

The General Theory of Employment, Interest, and Money (John Maynard Keynes)

Don’t Think of an Elephant (George Lakoff)

Two Treatises of Government (John Locke)

An Essay concerning Human Understanding
(John Locke)

An Essay on the Principle of Population
(Thomas Robert Malthus)

Principles of Economics (Alfred Marshall)

On Liberty
(John Stuart Mill)

The Language Instinct (Steven Pinker)

Word and Object (W. V. Quine)

On the Principles of Political Economy, and Taxation
(David Ricardo)

History of Western Philosophy (Bertrand Russel)

The Rediscovery of the Mind (John R. Searle)

The Sciences of the Artificial (Herbert A. Simon)

The Wealth of Nations
(Adam Smith)

Tactatus Logico-Philosophicus (Ludwig Wittgenstein)

Holy Bible

The Constitution of the United States of America

「英語は訳さず学べ」苫米地英人 著より

以上、考え方の一助になれば幸いです。


#  | URL
2018/11/12 07:03 | edit

清水はともかく苫米地は速読についてそれほど無茶苦茶なことは言っていないという主張ですね。もっとも元のコメントの方も苫米地のことは一言も言っていませんが。

tomabetchy #  | URL
2018/11/12 09:21 | edit

失礼しました。。。

失礼してしまいました。

先程の投稿は投稿者の方への批判ではありません。

速度はジャンルと目的によっては有効です
という意味です。それが、とんでもない事件
の為に誤解されては勿体ないと思ったからです。

苫米地氏のことを例に挙げたのは、この
掲示板の前提からして、元ネタの本の内容を、
必要と思い、説明の一助にするつもり
でした。この掲示板では、例の事件が前提であり、
説明が必要だろうと思ったからです。

文学作品は味わって読みましょうに賛成です。


こちら他の投稿者への批判ではなく、例の配信との関係
で、速読への曲解、押し付けは一部の方がされたことですよ、
というのをお伝えしたかっただけです。

元ネタの本を確認した結果、使えるノウハウもあり、
勿体ない話に思えたということでした。

それ以上の意図はありません。



















#  | URL
2018/11/12 10:14 | edit

こちらこそ失礼しましたm(_ _)m元の投稿者です。速読のこと不勉強な上で安易な批判をしてました。ただ私のように速読を胡散臭いものとして曲解している人は多いかもしれませんね。
私が速読の存在を認識したのはメンタリストのDaiGoからのもので、彼のパフォーマンスをテレビで見ていて胡散臭いと感じていており、そのバイアスで速読自体を胡散臭いものと決めつけておりました。しかし不勉強なうえ印象で決めつけてしまうこと自体は乱暴ですが、なんというか人の人となり、見た目、人相、発する言葉、雰囲気などから感じる印象というものも私にとっては(あくまで私にとっては)ぬぐい難いものであるのも事実です。
只の外野の一個人の意見ではありますが苫米地英人も清水有高も私の受ける印象は胡散臭いです。

深く掘り下げ、勉強し、調べた上でものを語る貴ブログは大変私自身勉強になります。

また、思いつきではあるかもしれませんがコメントを寄せたいと思います。
曲解していたら訂正して下さい。

85 #  | URL
2018/11/12 18:47 | edit

速読についてはこんな記事もあります。

「速読」は不可能だと科学的に証明 「飛ばし読み」が最も有効
http://news.livedoor.com/article/detail/12898121/

tomabetchy #  | URL
2018/11/13 00:26 | edit

御礼と情報を:極端な比較や煽りがトラブルの元。速読はNHKが30年かけて広めたものです。

丁寧にご返信を頂きまして恐縮です。一応年数少しだけ余分に知っている歴史的状況を知っている身としてお話をさせて頂くことをお許し下さい。

私がそもそも速読について知ったのは、30年近く前のNHKの青山のカルチャースクールです。詳しい流派のことは知りませんが、歴史が長い定番のカルチャー講座です。NHKには何度も取上げられていたかと思います。

◆NHKのカルチャースクール(全国にあります。ネットがなかった頃は今よりもっと地位が高かったのではと思います。)

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1126648.html

NHKでの放送(何度かありますが直近のもの)
https://www.sokunousokudoku.net/info/107/

◆導入状況の調査結果

学習塾(下記は市進学院。その他多数あり)や高校等でも導入しているところがあるようです。
http://www.ichishin.co.jp/koushu/k/sokudoku/tabid/418/Default.aspx

神戸学院大学付属高等学校のリリース
https://www.kobegakuin-f.ed.jp/information/146


◆そもそもの速読という名称の問題点について

「速読」という名称が問題で、実態は「一時記憶及び背景知識を活用した複数回読書法」で、外側から(その訓練に慣れた人が読んでいるのを)見ると、早く読めているように感じているというだけです。同時に5行分を目に入れようが、3行分を目に入れようが、知っていること、見たことがあるものはすらすら読めますが、理解出来ないモノは調べる必要がある、それだけのことなのでしょう。(T氏の速読法を評価した理由は、他の流派のように眼球運動いらないでしょ?重要なのは背景知識でしょ?先に調べてから読みなさい、と正直に述べていた点です。)


◆マーケティングの問題について

最大の問題は、極端なマーケティング手法として、本来は「手段」であるはずの読書が、何故だか、

「こんなにスゴイでしょ!」→周り「スゴイ!あり得ない!超能力?」

みたいな、プロレス並のショー、興業がなされていることです。特に最近のYou Tubeは恐るべしなのでしょうか。。。資本主義の社会が、売ることを前提に成り立っているのだから、仕方がないのですが、そもそも、例えば、村上春樹の小説等をみんなの前でどれだけ早く読めたか、競争すべきものではありません。「早食い競争」「ナンパ競争」のようなもので、それは本来は不要であり、下品極まりがないですから。

他人との比較の中で、成り上がろう、のし上がろう、こういった下品な動機と結びつくと、単なる文化の破壊になってしまうので、よくないと思っています。

備考

※NHKのカルチャースクールは、流石に大丈夫です。数万冊本が読める!とか、嘘は教えませんから。念のため。

※例外として、英語圏に留学、英語環境で仕事をせざるを得ない方は、そもそも日本人はただでさえ、英語の理解力と速度が遅いので、人と比べてどうなのか?を意識する必要はあります。いくら何でも遅いよ、足引っ張るなよ、という状況を脱する努力は必要です。但し、「速読」と「慣れ」はどう違うのか??正直まだ分からない点はあります。背景知識が解決するというのは英語も同じような気がしました。(私も含めた経験者談)

※速読も自己啓発と同じで何だか米国的なものではあるようです。。。煽り立てられる要素が元々十分にあることも、調査の中で理解しました。その点は気を付けなければいけない点です。
http://www.right-brain.biz/reading/presidents.html


◆まとめ

以上の、数十年の経緯から、速読という(名称の)ものは普遍的に日本にあり、「速読」というものは(流派はあるものの)一つの市民権は得ているもので、後は、個々人のライフスタイルや方針に応じて、どのような読書スタイルを取るか決めていけばよいのだと思います。

(そういう「速読をしない」選択肢もあるんだよ、ゆっくり読むのもありだよ、ときちんと人々に提示してあげないのが、一番いけないことです。自主的な思考力、判断力が何よりも大切です。)

私は、何事においても、極端で過剰な煽り立てをする、宗教やカルトのようなやり方には反対であり、巻き込まれた方々が、冷静な判断や検証する動機すら奪ってしまうものであれば、大変由々しきことだと思いました。

今後も書込にあたっては、間違いがないよう、調べられる範囲のことは調べて投稿はしていく所存です。(今回、時間をかけて、複数の方に私個人でご協力を実際に頂きました。)

今後も様々なテーマで皆様との良質な議論が続いていきますように!








#  | URL
2018/11/15 01:40 | edit

どこでどう見たか聞いたかで認識したか記憶がはっきりしないのですが、私は速読=フォトリーディングだと思ってました。
文字が並ぶ本のページを写真か一枚の絵のように記憶しながらパラパラページをめくると潜在意識に内容が浮かんでくる云々みたいなやつです。
速読にいろいろ種類や流派のようなものがあるとはさほど認識しておらず、せいぜい種類があってもそのフォトリーディングを主軸にした微細なバリエーションがあるぐらいにしか思ってませんでした。
「今あなたが読むスピードの2倍で読めます!」
ぐらいのコピーだったら不信感も抱かなかったかもしれませんが、いかんせん私はショー的なパフォーマンス的な速読(パッパッパッパッと一つの見開きに一秒とかからない速さ)をテレビだか動画だかで見て、尚且つそれがページを絵のように脳に記憶させて内容がイメージで浮かんでくる云々云々、いやいや嘘でしょ、と。
しかし本当にできるんですかね、、。
ちなみに今日速読関連をネットで漁っていると清水有高がフォトリーディングを否定している動画がありました。彼は写真記憶みたいなことではなくて読んでるらしいです。あのスピードで?いやいや、、。

失礼。本当に訓練すれば読むことも可能なのかもしれない、と考え方を改めつつあるのですが、なかなか。

しかし、速読術というほどのものでもないですが斜め読み、飛ばし読み、拾い読みで本の内容をざっくり読むということを無意識的に自分もしていたことをこの数日に気付きました。

特別あてもなくぷらっと本屋に寄り、なにか面白そうな本はないかな〜って時の立ち読みです。
背表紙のタイトルを眺めててなんとなくひっかかったら抜きとり、はじめの方や序章を少し読み、もくじをざーっと見て気になる章のページに行き少し読み、まだ気になる感じだったら著者の経歴や過去の著作などをチェックして今度は適当にページを開きちょっと読みちょっと読みしてなんとなく本の内容をエッセンスの集合でイメージする感じ。
この時は確かにサラサラサラサラと私もそれなりに早いスピードでページをめくっています。

この感じの延長に速読があるように思った次第です。裏付けありません、私の主観です。

とまべっちーさん毎度ありがとうございますm(_ _)m

85 #  | URL
2018/11/15 19:04 | edit

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